種まき工房

疲れたココロが、少しでも軽くなりますように。そんな「願いの種」を一粒ポロリ。

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存在の意味

ヨーダが去勢手術をした。

私は午前中、打ち合わせがあったため
夫が病院につれて行ってくれた。
でも、もし時間があったとしても
私はつらくってつれて行けなかったと思う。

「夜、診察が終わる頃に来て下さい」
と言われたというので
20時前に、病院へ向かい連れて帰ってきた。

今日いっぱいは、麻酔の影響もあって
おとなしいらしい。
それでも、ノソノソあちこちと
後追いをして、今も膝の上で寝ている。

抱っこして感じるに、ヨーダ熱があるなぁ。
この感覚なつかしい…。
子どもたちが、まだ赤ちゃんだった頃
「熱があっても、気がつかないんじゃないか」
といつも不安でドキドキしていた。

でも、不思議と「うん?熱あるかも」
と感じて熱を計ると、必ず熱があった。
それに気づくことが、自分でも驚きだった。

今回も、それと同じ。
いつもヨーダが膝の上にいるからこそ
わかるのかもしれないけれど
感じるもんだなぁ。わかるものだなぁ。
それがホント不思議。

ヨーダをはじめ、我が家の猫たちは
私に「よくやってるね」って
声かけをしてくれるのでもなく
ご飯の用意をしてくれるのでもなく
肩をもんでくれるのでもない。

でも、いてくれるだけで
ココロがほぐれ、ココロが満たされ
淋しさが和らぐ。

存在とは、そういうものなのかもしれないね。
具体的に何かをしてくれる
ということだけに意味があるのではなく
「そこにいてくれる」ということにも
ものすごく意味があるもの。

存在してる側の立場だと
「ただそこにいる」というだけでは
無力感というか、存在の意味を
感じにくいと思うが

存在してくれている側の立場だと
「ただそこにいてくれる」というだけで
安心感というか、存在の意味を
感じると思う。

だから「自分の存在」を感じるためには
人が必要なんだね。
言葉を頂きながら、ときには、言葉を伝えながら
生きていくことが大切なんだね。

最後になったけれど
ヨーダ、ようがんばったゾ。




Posted by 種まき at 03:35