種まき工房

疲れたココロが、少しでも軽くなりますように。そんな「願いの種」を一粒ポロリ。

home 種まきブログ ココロの旅、その4

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駅から病院までは、徒歩10分ほど
その道をゆっくり歩いた。
今日の調子はどんなだろう…。

彼女の病室へいくと
昨日、渡したパジャマを着て
待っていてくれていた。
すごく似合っていたし
痛みのコントロールが
うまくできているようで
昨日よりも楽そうだった。

そんな彼女をみて
「あぁ…こんなんだったら
もっと早くくればよかった」と後悔をした。
しかし、もちろんその場では
そんな思いは外には出さない。

昨日同様、談話室へ移動。
談話室には、4つのテーブルがあるので
2人っきりになるのは難しい。
でも私たちにとっては
ようやく2人だけで時間を
持つことができたような思いだった。
彼女は私にいろいろな思いを
聴かせてくれた。

今回の入院は脳に転移がみつかり
その症状を改善するためのもの。
(その事実を知ったため
今回、長野にいくのを決めた)

しかし担当者が
その脳への転移を告げるとき
「脳へ転移しました」
とあっさりと告げたというのだ。
彼女はそれを聴いたとき
とてもショックを受けたという。
そして「『残念ですが』
そのたった一言でいいんだよ」
と涙を流しながら言った。

その後、その思いを
誰かに話さないとガマンができないため
つながりのあるソーシャルワーカーに
話を聴いてもらったそうだ。

次の日、主治医から呼び出しがあり
「3年前、話をして決めましたよね」
と言われたという。
彼女は専門家でもないので
3年前に決めたことが
ここまでの意味をしていたとは
わからなかった言った。

つまり、もう少していねいに
ある段階段階で知らせてくれるなり
教えてくれるなり
対処をしてくれると思っていたようだ。

彼女は半年ほど前から
右手に違和感があることを伝えていたが
その時点でCTを取ることも
何もしてくれなかったという。
それなのに今回、担当者からは
ぶしつけに脳に転移があると伝えられ
(大きさは2、5センチ)
主治医からは「他の先生に主治医をかわる」
と言われたそうだ。

たぶんその後も、かなり感情的な
やりとりがあったと思われる。
しかし私は、彼女はよく自分の思いを
伝えたなぁと思う。
患者の立場である本人が
自分の率直な思いを伝えることは
なかなか難しいと思えるからだ。

私は彼女の話だけを聴き
彼女の思いを
事実として受け止めているので
中立な立場ではない
ということはわかっている。
それに家族や親族などがいる以上
いろいろな意味で
関係性や個人の考え方・価値観が
本人の治療や知ることができる範囲を
左右するであろうこととも想像がつく。

なので、彼女のところに
今の現実が届くまでに
どんな現実を経てきたのかは
私にはわからない。
しかし、私はそのスタンスを
認めた上でも言いたい。

人は人として生き続け
そして、人として最期を向かえる
権利があると私は思う。
患者であろうと、医師であろうと
障害があろうと、子どもであろうと…。
その前に「人である」ことを
受け止めることが大切だと思う。

患者としてではなく
まず人として彼女を受け止めることが
できていたならば
今回のようなココロない言葉ではなく
ココロの通った言葉を
伝えられたように思える。

医療の現実は厳しいだろう。
余裕もないないだろう。
忙しく大変だろう。
でもそうであったとしても
病気だけを診ればいいとは
私にはやっぱり思えない。
カラダだけを診るのではなく
ココロもいっしょに診てほしい
そう願うことがおかしいとは
私にはどうしても思えない。

彼女が求めていることを
わがままだとは思わない。
当然の思いだと思える。
だって命がかかっていることなんだもの。
そんなカンタンに命に関わることを
告げられたとしたら
少なくとも私であっても
「人としての温かさ」を
求めるだろうと思える。

それと「3年前に決めたこと」
という発言にも驚いてしまった。
人の思いなど1日でかわるもの。
それなのに自分の命が
関わるほどの重要なことが
「3年前の決めごと」
に基づいく動いていくのか…。

そして、その3年間に
修正やら確認が1度もされない
といういうのか…。
そのこと自体、信じられない思いだ。

医療の世界では
そんな感覚が「常識」なのだろうか。
もしそうだとしたら
本当に私には理解しがたい。
3年という時間は
とても長いと私には思われる。

半年に1度でも
せめて1年に1度でも
今の現状について、ていねいな説明をし
今まで、そして、これからの
治療方針について、患者と医師と共に
確認作業をするべきではないか。
私にはそんな風に思われてならない。

彼女は他にも
41歳で乳ガンの告知を受け
本当だったら自分が親のめんどうを
みなければならないのに
親にめんどうをみてもらっている自分を
どれほど情けなく感じているか。
その他にもいろいろな思いを
話してくれた。

大阪に帰るバスの時刻が迫ってきた。
路線バスも終わり、後は電車のみ。
それもこれに乗らないと
夜行バスに乗れないという
電車のみになった。
私は後ろ髪を引かれる思いで
帰る準備をした。

彼女は、廊下に立って
手を振りながら
私を見送ってくれた。
タクシーに乗って駅に向かい
最後の電車に乗り、帰路についた。

彼女が「人として」
生き続けられることを
ココロから願う。
また絶対に行くから待っててや。

(写真:千曲川)




Posted by 種まき at 23:25