久しぶりの書き込みだなぁ。
忙しくて書き込みができなかったのだが
でも…ココロの隅に以前のように
「思うまま」書き込むことが
できなくなったというのかなぁ…うん。
そんな気持ちがあるのを感じる。
そんな思いとせめぎ合っている自分を感じる。
でも今日は、そんな思いを押しやって
小粒つぶやきをする。
+ + +
少し前の話。
夕方のニュースをみていたら
奈良県で「補導条例案」がつくられ
県議会にかけられるという話をしていた。
その補導対象となる不良行為の一つに
「正当な理由なく、学校を休みうろつく」
という内容があった。
それを聞いたとき私は
何とも言えない息苦しさを感じた。
子どもたちの非行を防ぐというのは
大切なことだと感じる。
でも、この条例が通ったら
特に、不登校や引きこもり
の子どもたちはどうなるんだろう。
行き場所や居場所を
どこに求めればいいんだろう。
学校に行けない子どもたちは
外に出ていくいくことさえ
許されないようになってしまうのだろうか。
そう思うと、やりきれない思いがした。
今日、その条例が県議会で可決された。
大人たちが子どもを思う気持ち。
子どもたち側からすれば
その「思い」はどんな風に届くんだろうなぁ。
+ + +
オリンピック終了後
友人が開いているお店に寄り
お茶を飲んでいた。
そこに、常連さんらしき人が現れ
金メダルを取った荒川さんの話をし始めた。
「子どもを産むなら荒川しずかみたいな子、産まなあかんな」
その人がいうには
荒川さんのような親孝行をしてくれる子を
産まないと意味がないというのだ。
私はその話を聞いていて
できの良い子どもは
「子どもとして価値がある」と認められるが
できの良くない子どもは
「子どもとして価値がない」と扱われるような気がして
とてもイヤな気持ちになった。
その後も、そのイヤな気持ちは続いた。
「どうしてこんなに、ざわつくんだろう」
と自分をみつめていると
ざわついていたのは「現在の大人の私」
ではないことに気がついた。
ココロの中にいる「小さな子どもの私」が
泣きながら悲しんでいたんだ。
その後、小さな自分をなぐさめて
「そんなことないと思うよ」と伝えると
気持ちは落ち着いていった。
子どもの価値とはなんなんだろう。
人間の価値とはなんなんだろう。
少なくとも私は、子どもたちに
何かしてもらうほどの価値がある人間ではない
ことだけは言える。