種まき工房

疲れたココロが、少しでも軽くなりますように。そんな「願いの種」を一粒ポロリ。

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私は何様

いつの間にか
うたた寝をしてしまっていた。
テレビの音で目が覚めて
その番組をボーッとみていた。

番組はHNK総合
「九州沖縄スペシャル、水俣それぞれの祈り」
というものだった。

今年、水俣病が公式確認されてから
50年という節目を迎えた。
その50年を、胎児性患者である
坂本しのぶさんと金子雄二さんの
これまでの人生を通し
伝えていくというものだった。

私自身も途中から見始めたため
はじめは何の番組かわからなかった。
でも、番組を見ている間に
だんだんカラダは起きあがり
最後には、涙があふれ出ていた。

若い頃は、同じ胎児性患者ということで
つながりあっていた二人。
しかし、その生き方は
少しずつ違う方向へと進んでいった。

一言ではとても表せないことは
承知の上で、表現させて頂けば

しのぶさんは
「水俣病に終わりはない」と
終息させようとしている
国・行政、チッソに、訴えを続けている。

国・行政、チッソは自分たちは
「もう許された立場にある」
「この問題は終息に向かっている」
と身勝手なココロない言葉を使う。

その言葉に対して
「私は水俣病から逃げられない」
「バカにしている」と
訴え続けている。

雄二さんは
「今は憎しみはない」と語り
地元の子どもたちとつながりながら
その中で、仲間と生きていく道を模索している。

国・行政、チッソが開いた
式典に参加をし
東京に出向き、環境省の人間に
「家がほしい。グループホームを
親が生きている間につくってほしい」
と訴えた。

水俣病は、人間・社会がつくった病。

ただそこの地域に住んでいたがために
背負わされてしまった病だと
私は感じる。

その病と共に
生きていかなければならなくなったのは
しのぶさん、雄二さん
(すべての水俣病患者)の責任ではない。

しかし、現実は
その病のしんどさの全てを
患者や家族だけが
背負って生きていかなければ
ならないんだ。

しのぶさんが昔からの友人を
水俣病患者の施設に
訪ねていく場面があった。
その方は、30数年間
その施設で暮らしおり
人生のほとんどをその施設だけで
過ごしている。

そんな現実をみて
患者さんご自身が
「親が心配をせず、最期をむかえられように」
そこまで考えて人生を送らなければ
ならないんだと感じた。

私という
第三者的立場である非障害者は
そんな患者さんを「区別の目」でみる。
出逢うと「引いてしまう」。
自分のこととして「考えない」。
まだまだいっぱいあるだろう。

でも本当は、そんな事実を
感じ受け止め、それを知った上で
人生を生きられておられるのは
ご本人自身なんだと感じた。

その方が、1番
自分の置かれている立場を知り
その中で、どう生きていけばいいのかと
悩み考えておられるのだと感じた。

その事実に、涙が出た。
そんな傲慢な自分に、涙が出た。
私は何様なんだろう。
社会は何様なんだろう。





Posted by 種まき at 16:53